村人が、少し高い所になっている柿の実を
見ながら議論。あれは渋柿か甘柿か?
長老曰く「あれは渋柿じゃ。取ろうと
思えば取れるのに、まだ残っているからの」
この寓話は、色々な解釈ができます。
抹茶は、子供の頃、この長老の様に
「知的」になりたい。と思いました。
思えば、面倒くさがりの兆候が
この頃からあったんでしょう。
話の続きを作った人もいます。
村の若い衆が取ってみると
なんと甘柿だった。
皆が、小賢しい事を考えたので
誰も取らずに甘柿が残っていたのです。
ま、これも一理あります。
理屈をこねてるヒマがあったら
行動しろ。と。
取ってみるとやっぱり渋柿だった
という結末が好きな人もいます。
解釈は、時代や年齢によって
変わるのかもしれません。
アオリエータは叫びます。
食ってみましょう。買いましょう。
行動しなければ稼げませんよ。と。
でも、1度食ってみれば
その木は渋柿だ。と分かりますよね。
先に食った人が「渋ぅぅぅ」と
言ってるのを見れば分かりますよね。
同じ木に向かって
次の実は甘柿かも、と思ってませんか?
ありがとうございました。
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